昨今の活動
2018年
1月2日 皇居参賀 靖国神社参拝
機関紙『アジア新聞』刊行、電子版、Twitter版、紙版の刊行
11月5日「自由インド・太平洋連盟」結成大会に参加
11月24日~28日 「台湾大危機和東亜大陸各民族反抗運動大連聯合(台湾)」参加
12月15日 パプチャップ将軍慰霊祭後援(記念講演:田中健之会長)
12月23日 天皇誕生日 皇居参賀
2019年
1月2日 皇居参賀 靖国神社参拝
1月20日~25日 ロシア人ジャーナリスト ダリア・アスラーモア女史の取材をアテンド
3月1日 満洲国記念祭後援
5月4日令和元年、天皇陛下ご即位皇居参賀参列
6月 街宣車購入
6月30~31日 自由インド太平洋連盟が行った対中抗議活動「J20」に参加(大阪)
7月1日 民族の意志同盟大阪集会に出席(来賓挨拶:田中健之会長)
7月17日 事務所開設(千代田区)
7月27日 黒龍会々祖内田良平翁墓参(多磨霊園)
8月15日 靖國神社参拝
歴史
黒龍会は1901年(明治34年)1月に設立された国民団体である。中国・満州・ロシア国境を流れる黒龍江に名前が由来する。玄洋社の海外工作センターといわれた。1931年には大日本生産党を結成。1946年、GHQ当局によって、最も影響力のある国民団体として解散させられた。
黒竜江
内田良平氏
創設
日清戦争後の三国干渉に憤慨した玄洋社の一部が大陸での活動をするために、1901年に平岡浩太郎の甥に当たる内田良平を中心として葛生修吉らが設立した。他に平山周、葛生能久がいた。玄洋社の頭山満が顧問となった。東京神田の錦輝館で行われた発会式には先の葛生、平山の他、伊東正基、吉倉汪聖、佃時夫、大原義剛、権藤震二らが参加した。事務所は芝区西久保巴町の内田の自宅。賛助員として平岡の他に犬養毅、鳩山和夫、頭山満、大井憲太郎、神鞭知常、河野広中、中江兆民がいる。
大アジア主義
第一次世界大戦後、牧野伸顕らが代表として国際連盟の会議に出席することになったのを受け、黒龍会は各界に強い働きかけをして人種的差別撤廃提案を提出させようと運動している。また、ラース・ビハーリー・ボースの亡命支援などに携わり、インド独立運動やフィリピン独立運動など、復興アジア運動を積極的に行った。
日韓合邦構想
樽井藤吉は著書「大東合邦論」にて、日韓連邦建設によって欧米列強諸国からアジアの独立を護ろうと主張した。内田良平や武田範之らの黒龍会の会員たちは、「大東合邦論」に共鳴した東学党の乱の指導者の一人、韓国一進会の会長李容九と共に「日韓連邦建設」「日韓合邦論」を叫んで、日
韓が力を合わせ白人の東洋侵略に対抗するべく日韓合邦運動を展開した。
孫文支援
辛亥革命を支援しており、1905年に中国革組織各派が連合して成立した中国同盟会の結成準備会は、東京・赤坂の黒龍会本部兼内田良平の自宅で行われた。また、黒龍会発行の機関誌「内外時事月函」の記者の名目として上海に北一輝を派遣し、中国革命を支援した。
中国革命が、南北妥協によって挫折した後、内田良平らは、反袁世凱という立場から、満蒙独立運動を支援する立場となり、宗社党などと関係を持ってパプチャップらと共に、第一次満蒙独立運動、第二次満蒙独立運動に関り、本告辰二、志賀友吉、若林快三ら、黒龍会の会員が殉難している。
イタリアのエチオピア侵攻問題
1935年〜1941年にかけてイタリアがエチオピアを侵略した際には、イタリアの侵略行為を激しく非難してエチオピアを支持し、「伊エ問題とエチオピア事情」、「空襲下の悲壮エチオピア」の二冊のパンフレットを1935年に出版している。このエチオピア問題で黒龍会は、日本の女性皇族とエチオピアの帝室との間に閨閥を作ろうとしている。
大アジア主義と大東亜共栄圏の違いとは?