文化


過去の輝きを取り戻すモスク 日本企業の技術が採用されたメンテナンス工事

 9月、マレーシアの首都クアラルンプールにあるイスラム教礼拝所(モスク)がメンテナンス工事を終え、かつてのコバルトブルーの輝きを取り戻した。

 メンテナス工事を担当したのは、東京都港区に本社を置く「エコ・24」(波間俊一代表取締役)。モスクなどを所管するJAWI(クアラルンプール・約608カ所のモスクなどを管理する連邦直轄領イスラム事務局)がエコ・24の持つメンテナンス技術を評価し同社にメンテナンス工事を発注したのであった。

 JAWIが注目したのは「ラスティングコート(コーティング剤)」。アルコール類を含まない無機系の剤を使用するメンテナンス技術がイスラム法に合致することなどを大きく評価し、エコ・24の現地パートナー企業・アイハラサービスにメンテナンス工事を依頼した。 JAWIから発注されたメンテナンス工事は、クアラルンプール中心部に位置する1998年に建造されたウィラヤモスク(延べ床面積約6000㎡)のドーム部分140㎡のメンテナンスで、以前からFRP製のドームに張られたモザイクタイルの退色もかなり進み、はく離したタイルが落ちて、礼拝に訪れる人への被害も懸念されていた。

 工事は洗浄からコーティング剤の塗布まで、約1カ月をかけて行われた。ラスティングコートのコーティング膜(30ナノメートル)の微粒子は、細かい傷やポーラス(多孔質)に入り込み、素材を保護することにより、輝くモザイクタイルの色を蘇らせるとともに、色素はく離も防止できる。(施工部分は10年間保証)

 以前から、エコ・24は、2015年からマレーシアで有機材を使っていないノンアルコールのラスティングコートが、イスラム圏で活用できるのではないかとの展望を持ち、事業展開を図ってきた。ハラールへの抵触などの審査を受けた上で、JAWIから依頼を受けて、国立パハン大学の監修の下、コーティング剤の試験施工を行ってきた。 その結果、コーティング後は耐久性向上、劣化したモザイクの色つやなども復元できることを立証し、今回の受注に至った。 また、日本国内で唯一のアスベスト無害化処理工法(CAS工法)を保有する企業としての実績が評価され、16年には国際協力開発機構(JICA)が実施するODA事業、中小企業海外展開支援事業「アスベストによる健康被害防止のための無害化剤・無害化工法の導入に向けた案件化調査」をマレーシアで展開してきた。

 17年には国立パハン大学と、エコ・24製品の応用分野を開発することで、合意。さらに、ODA事業の一環として、マレーシアのイスラム教施設内におけるアスベスト調査を実施するなど、同国で着実に地歩を固めてきた。同大学とは共同研究開発提携を行うとともに、今回のメンテナンス工事においては技術監修を受けている。

 今後について国立パハン大学は、エコ・24コーティング材料はドローンによる無人化施工も技術的に可能と考えており、モスク用のドローン開発も進めて行くとしている。 また、現地パートナー企業・アイハラサービスとは、エコ・24製品の認定と今回の施工実績をステップとして、更なるイスラム教関連施設と公的施設(病院、文化財等)への営業規模を広げいき、周辺のイスラム教国家へもアプローチしていくとしている。

 今後の展望について、エコ・24は、日本の設計会社や建設企業が、イスラム圏でモスクを建設する動きも活発化していることを視野に、積極的に業務提携していく姿勢を示している。波間社長は、「当面、マレーシアで、ビジネスのポテンシャルを高め、地歩を固めていく。その上で、中近東、アジア諸国のイスラム教国で、お役に立てることがあれば、製品、技術を提供していきたい」と展望を語った。

 

投稿者:編集局

投稿日:2019.11.7


韓国元大統領「朴正熙生誕100周年記念切手」を入手

 このほど、アジア新聞社会長の田中健之氏は、発売禁止となっていた「朴正熙生誕100周年記念切手」の現物を入手した。この切手は元駐日韓国大使館公使で、「統一日報」主幹の洪熒氏から提供されたもので、2年前の2017年に韓国元大統領である朴正熙氏の生誕100周年を記念して作られたもの。郵政事業本部は、発売直前になって朴前大統領の罷免、逮捕・起訴という事態を受け、朴元大統領の業績をも否定する声が高まっているとして発売の中止を発表した。

 当時、保守系「正しい政党」の朱豪英(チュ・ホヨン)院内代表は、国会で開かれた所属議員全体会議で、「朴正煕切手発行計画の取り消しは(政権の)『見えない手』が作用したとの疑惑を持たれるのに十分だ。功過があるにしても、朴正煕大統領生誕記念切手は発行する価値があると思う」と述べた。また、保守系最大野党「自由韓国党」の全希卿(チョン・ヒギョン)報道官は口頭での論評で「政権が変わってから100日もたっていないのに、前政権が決定した事業だという理由だけで手のひらを返すように白紙化したのは納得できない。元大統領の業績をたたえることすら放棄する、非常に後進的かつ退行的な行動だ」と批判していた。

 

投稿者:編集局

投稿日:2019.4.5


失われた領土のため指詰めをする日本人

<ロシア「コムソモリスカヤ・プラウダ」より転載>

 弊紙の特派員ダリヤ・アスラモヴァは取材のために日本に行った。日本人は果たしてそこまで切実にクリル諸島の返還を願っているのだろうか。

 

 東京。細長くて薄暗い部屋。木製パネルの内装。非の打ち所がないスーツを完璧に着こなしている10人の男性。高級なネクタイと竜頭のカフリンクス。『ゴッドファーザー』を思い浮かべるような、粛々としたこの雰囲気で唯一の女性である私は微妙に気まずい。これは長年にわたっていわゆる「北方領土」(日本におけるクリル諸島の名称)の返還を訴え続けている右翼団体の集いだ。

 

 裕福で政治に無関心な日本社会に敵の存在を忘れさせないのは他ならぬ彼らである。その敵は危険な闇の国、ロシアだ。小さい頃から全ての日本人の頭に叩き込まれている「火事場泥棒」という言葉はもはや我が国の代名詞になっている。彼らによると、邪悪なロシアは不可侵条約を破り、第二次世界大戦が終わろうとしているところに弱り切った日本を襲い、その火事場泥棒のようにクリル諸島を奪い取ったのだ。   

 私は民族主義者の集まりに同席したことはただの偶然ではない。日本に数多く存在する秘密結社のリーダーである私の昔からの付き合いが紹介してくれたのだ。このような秘密結社は日本の文化の一部ではあるが、メンバーの推薦がなければよそ者はとても入れない。

 

「カワハラさんの手を見てください」と言われて私は敬意を払いながら小指を欠いた手を見る。その持ち主は私の反対側に座っている男性だ。彼の目は激しく泳いでいる。「それはどうされましたか」と同情を込めて聞くと「自らがナイフで切って韓国大統領に送りつけた。韓国が戦後に日本の領土である竹島を占領したことに対する抗議なのだ」という答えが来た。ただ、この人口のないちっぽけな島(そしてその隣にあるもう一つの小さな島)はそもそも日本が1905年に朝鮮から奪い取ったもので、韓国は戦後にそれを取り戻したことで自分の正当な権利を行使した事実に彼は都合よく言及していない。そうすると同席している全員は一斉に文句を言い始めた。警察のせいでロシア大使館にこのような小包を送るどころか、大使館の前で抗議デモでさえできないだって。警察のみなさん、ありがとうございます。カワハラさんがもう一本の指を切って大使館に送りつけることを想像するだけで吐き気する。

 私は笑い始めた。「無礼千万ですが、皆さんはクリル諸島の返還が叶わなかったら次に体のどの部位を切断するのですか」不気味な沈黙。そして爆笑。ホッとした。「バカガイジン」だからこんなことを言ってもタダで済む。

 

 実は私が一番恐れていたのはアガタさんだった。彼はもともとヤクザの親分だ。右翼団体とヤクザはある程度の通じ合いがある。非の打ち所がない髪型で羊皮紙のような肌色のアガタさんはとても落ち着いていて凛々しい70代の紳士だ。「三年前にヤクザをやめた。もう引き際だ。歳だし、若い連中に道を開けるのが筋だ」。彼は私たちの口論を注意深く聞いている。

 「旅順港のことはまだ許していない!」と私は叫ぶ。「ロシア帝国に対する侵略戦争のことも!日本はそもそも侵略者だ!侵略者から領土を取り上げる権利は国連憲章に書いてある。第二次世界大戦の結果の見直しは論外だ!」それに対して日本側は「日ロ不可侵条約を破ったのはあなたたちの方だ!絶対許せない!」と叫ぶ。「クリル諸島を放棄すると明言したのは外でもないあなたたちだ!」と私は叫ぶ。日本がクリル諸島を手放すことを約束したサンフランシスコ講和条約のことだ。「しかし誰に手渡すかは明記していない!」と日本側の一人が指摘する。

 「誰でもいいよ。ホンジュラスでも。一旦放棄したらそれを取り戻せないのは当たり前だ!」突然、私たちの口喧嘩にヤクザの元親分のアガタさんは低い声で介入する。「あなたたちが最初から語るべきことを語っていない。歴史は過去のことだ。私たちはみんな平和を望むものだ。10万人が命を落としたアメリカによる恐ろしい東京空爆のあの夜に私はまだ6歳だった。爆弾があちらこちらで炸裂する風景がまだ幼かった私には、とても煌びやか見えた。私はあの夜のことを一生忘れない。親が泣いている理由はあの時の私には理解できなかった。親は『あの飛行機は死を蒔くものだ』と説明してくれた。私はあの時の親の言葉を今でも覚えていてる。私は、ロシアとの平和を望んでいる。私はもう年齢だが、子供たちの世代のためにどうやって、どういう代償を払って平和が実現させられるかわからないけど、何としても平和な世界を実現させなければならない。この先に何が待っているか誰にでもわからないから」

 

投稿者:「コムソモリスカヤ・プラウダ」より転載

投稿日:2019.1.29


モスクワで見つける日本旅行

<ロシア・ビヨンドより転載>

 モスクワにいながらにして、東京を感じることなどできるのだろうか?モスクワでリトル・トーキョーを見つけることはできないが、日本風、日本スタイルの一角は街のあちらこちらにある。では、一緒にモスクワにある日本的な場所を歩いてみよう。

1.ロシア科学アカデミー植物園内の日本庭園

 ヨーロッパ最大級の植物園であるロシア科学アカデミー植物園の北側に、1980年代に造園された「日本庭園」がある。庭園のオープニングセレモニーには駐ソ連日本大使も出席し、神主が土地を清める地鎮祭も行った。庭園の設計は世界的に有名な造園家、中島健氏が手がけた。

 2.7ヘクタールの敷地に主に日本に生育するおよそ100種の木々や花が集められているほか、18世紀の石塔、滝のような水流、岩島のある2つの池、木造の橋、四阿、石灯篭、つくばいなど、日本庭園に欠かせないすべての要素が揃っている。これらはすべて日本から直接持ち込まれた。また造園のため、ザカルパチア地方からモスクワへ250トンの石が運ばれた。異なる年にエゾヤマザクラとチシマザクラおよそ250本が植えられ、そのうち40本が見事に花を咲かせている。もっとも大きな木は5メートルにまで育った。ちなみにこの庭園は普段、厳格なスケジュールで管理されているが、桜が花を咲かせる時期(5月3日〜7日前後)には、庭園は毎日、訪問客のために開かれている。

 ソーシャルネットワーク「フコンタクチェ」ではこの庭園のグループがあり、定期的に庭園の画像付きニュースがアップされている。グループのメンバーたちは、「桜とトネリコがもう色づき始めているが、もみじはまだ緑色のままだ」と伝えている。そんなわけで「黄金の秋」まではまだ時間がありそうだ。

住所:ul. Botanicheskaya, 4, Glavniy botanicheskiy sad im. N.V. Tsitsina RAN

開園時間:9月1日~10月14日:月木以外12: 00〜18: 00。

4月27日~8月31日:月木以外 (金、土、日、祝日12: 00〜20: 00、 火、水12: 00〜18: 00)入場有料

 

2.モスクワ大学の茶室

 ロシア式に思い切り散歩した後、秋の空気のなか、桜に囲まれて暖を取ることができるのが、モスクワ大学の茶室。茶室は1990年代に裏千家15代鵬雲斎宗室のお抱え数奇屋大工らが、裏千家ロシアの支援の下、設計した。最初の生徒らに茶道を教えたのは西川宗篤氏だが、現在は主にロシア人茶道家らが指導を行なっている(そのうちの多くがモスクワ大学で日本語を教えている)

住所:ul. Mokhovaya, dom 11, Institut stran Azii i Afriki MGU im. M.V.Lomonosova, aud.402

開室時間:サイトでスケジュールをチェックすること(リンクは ロシア語)

 

3.モスクワ動物園のタンチョウとタヌキ

 モスクワ動物園はヨーロッパで最も歴史の長い動物園だということはご存知だろうか?モスクワ動物園は1864年に開園、現在は1,000を超える動物や鳥類を見ることができる。園が特に誇るのは1970年代に仲間入りしたタンチョウ。動物園の職員らはこれまでにないほど繁殖力があると指摘している。

 数年前に動物園にはタヌキが迎え入れられた。冬の間は、特別に作られた小屋で冬眠する。

住所:B. Gruzinskayaul. 1

開園時間:月~日9:00~19:00

 

4. 公園「ムゼオン」の「ゲイシャ」像

Moskva Agency

 もう一つ小さな東洋風の庭がゴーリキー公園にひっそりとある。池と木造の橋を背景にアジアンスタイルの彫刻が並んでいるが、その中に着物を着て、扇を持った少女の像がある。かなり日本風である。

住所:Krymskiy Val, vladenie 2

開園時間:24時間

5.ルビャンカ駅のラーメンクラブ

facebook.com/ramenclubmoscow

 そろそろ腹ごしらえする時間。数ある和食レストランの中からご紹介するのはモスクワの歴史的な横丁にある小さなお店。壁には京都の地図が貼られ、飲み物の自動販売機もあり、何種類かのラーメンと餃子、カレーライスが食べられる。日本に行ったことがある人は日本ならではの雰囲気を感じること請け合い。もしかするとノスタルジックな気分に浸れるかもしれない。

住所: Myasnitskaya ul.16

営業時間:月~土11: 00~22: 00、日12: 00~21: 00。

6.東洋博物館で観る字幕入りの日本映画

 モスクワで、日本語で映画を、しかも35mmフィルムで観ることは・・・、できる。日本映画祭の枠内で、10月から12月にかけて、東洋博物館で日本映画の古典作品、現代映画が上映される。音声はオリジナルで字幕つき。

1896年にロシアのニコライ2世戴冠に際して日本の明治天皇が贈った「松の上のオオワシ」

 東洋博物館を訪れたなら、1896年にロシアのニコライ2世戴冠に際して日本の明治天皇が贈った品を一目見てみよう。「松の上のオオワシ」という彫刻作品で、実物大のオオワシ(両翼164センチ)と切りビロードの衝立から成る。この作品に無関心でいられる人はいないだろう。

住所:Nikitskiy bulvar, dom 12A

上映時間:在モスクワ日本大使館のサイトにてスケジュールをチェックすること

 

7.ボリショイ劇場

Global Look Press

 え、信じられない?いや、しかし間違いではない。ボリショイ劇場も日本を感じられる場所の一つである。今年5月にウラジーミル・プーチン大統領と日本の安倍晋三首相がロシアにおける日本年、日本におけるロシア年の開幕を宣言した。ボリショイ劇場もまたある意味で日本を連想させる場所の一つとなっている。

 ロシア日本文化交流年のプログラムの枠内で、モスクワでは日本の珠玉の作品を紹介する「江戸時代の絵画と浮世絵の傑作」と題された大々的な展覧会が開かれるなど、数十のイベントが企画されている。

 

8.日本のカラオケ「シミズ」

facebook.com/shimizumoscow

 日本庭園の美しさに心が歌い出したというあなた。モスクワ中心部にある日本のカラオケ「シミズ」はいかが?ここでは露日カラオケパーティが度々開かれ、日本のダンスのショーも行われている。浴衣、着物を着てコスプレして来た人には無料のドリンクがついてくる。

住所:ul. Bolshaya Polyanka, 51A/9

営業時間:月~木18:00~00:00、金、土18:00~02:00 

 

9.バー「ネコ」の日本風カクテル

facebook.com/nekobarmsk/

 「ゲイシャ」、「サムライ」、「ティーハウス」・・・。これは、「日本といえば何?」というステレオタイプのリストではない。これはバー「ネコ」のメニューで見つけることができるオリジナルカクテルの名前である。そして名前だけでなく、中味もちゃんと日本風で、柚子、焼酎、抹茶、ごま、味噌までが使われている。たとえばカクテル「天皇の印」はホワイトラムにお米のシロップと日本のメロンで作られている。またワインのメニューには日本のシャンパンもある。ジャパニーズスタイルの1日を終えるのに、これ以上相応しい場所はないのでは?

住所:Bolshoi Putinkovskiy per.5

営業時間:火、水、木18:00~01: 00 、金、土18: 00~3: 00

露日関係観光日露貿易料理ボリショイ劇場映画音楽

 

投稿者:ロシアビヨンドより転載

投稿日:2018.10.10


脱北者の博多ラーメン、韓国団体が開業支援

<読売新聞より転載>

https://www.yomiuri.co.jp/world/20180929-OYT1T50010.html

 韓国生活になじめない北朝鮮からの「脱北者」が増える中、支援団体が日本風ラーメン店の経営研修を行っている。韓国での日本食ブームに乗り、順調に売り上げを伸ばしている店が多い。社会主義経済下で長く暮らし、商売に不慣れな脱北者を支援する取り組みとして注目されている。

 「毎日100人のお客さんが来てくれるまでになった」。ソウルのラーメン店「物語を込めたラーメン 文来ムンレ店」の李星陳イソンジン店長(28)は、女性店員2人と約20席の店を切り盛りしている。客の8割が常連だ。2016年末に店長となり、1日に約70万ウォン(約7万円)の売り上げがある。

 李さんは1997年冬に北朝鮮北部清津チョンジン市で5歳だった妹を飢えで亡くし、墓前においしい料理を供えてやりたいと思い、調理師を志した。2004年3月に家族と脱北し、韓国の大学で調理を専攻した。

 

投稿者:読売新聞より転載 

投稿日:2018.10.4


共産主義空手はなぜ本来の空手より残酷で血生臭かったか

<ロシア人格闘家へインタビュー>

・どちらかと言えば残忍な市街戦と共通点の多かったソビエト版空手は、ソビエト地下社会の住人の間で大変人気があった。しかし、これはソビエト政府の極めて否定的な反応を招き、この競技はついに禁止された。 ソ連の全格闘技の中でも、空手は多少複雑な歴史を持っている。だが、空手が登場するや否や、この競技は瞬く間に成功を手にした。

・1969年、ソ連初の空手道場が開業し、数年後にはソ連の複数の都市で初の大会が開かれた。

・1970年に空手の人気はピークを迎え、国内各地に空手クラブが設立された。間もなく、この格闘技の競技人口は約600万人に達した。

・当初は空手を歓迎していたソビエト指導部だったが、ついにはその姿勢を変えざるを得なくなった。空手があまりに人気となり、ボクシング、サンボ、柔道のプロ選手が次々と空手に乗り換えてしまったのだ。こうした格闘技のソ連チームは、国際大会やオリンピックでの実績が低迷した。オリンピックはソビエト市民が競技の腕前を発揮できる場だったが、当時空手はオリンピック種目ではなかった。

・もう一つの理由は闇社会と結び付いていた。空手は凶暴なギャングのお気に入りの格闘技となったのだ。ソビエト警察は、そのような熟練の格闘家らと対峙する準備ができていなかった。

・空手は政治的な意味でも危険を孕んでいた。ポーランドでの暴動のさい、空手家らが警察の非常線を破ってしまったのだ。ソビエト政府はソ連内にそのような格闘家が現れることを望んでいなかった。

・ソ連で空手が禁止されたのにはまた別の理由もあった。その血生臭さだ。ソビエト空手は、国際基準の空手とは大きく異なっていた。外国の流儀は鉄のカーテンに阻まれて流入しづらく、ソ連の空手家らは、空手をより残忍なものに発展させてしまったのである。

・ソ連の外で空手が主に自己防衛のための格闘技と考えられていたとすれば、ソビエト空手の目的は、文字通り敵を破壊することだった。

・ルールなど皆無に等しく、空手家らは敵を血みどろの物体に変えてしまった。時に空手道場では格闘家らを二列に並べ、集団衝突の練習までさせた。

・これらの状況を鑑みて、ソ連では1981年に空手が公式に禁止となった。違法に空手を教えた場合、最大で懲役5年の判決を言い渡された。

・KGB職員と警察の特殊部隊員のみが、空手を練習することを許されていた。

・ソ連の空手禁止令がようやく解かれたのは1989年のことだ。しかし1970年代に有していた人気を空手が取り戻すことはなかった。

 

投稿日:2018.10.1